佐藤さとるさん 講演会

私の本について話そう「本朝奇談 天狗童子」


 「佐藤さとる氏講演会 記録」

コロボックル展 記念講演会 私の本について話そう「本朝奇談 天狗童子」

講演者:佐藤さとる氏
聞き手:柴田祐規子氏

去る2007年8月4日に神奈川近代文学館でありました、
『佐藤さとる展記念講演会 私の本について話そう「本朝奇談 天狗童子」』の講演記録です。
講演内容をメモを元に起こしておりますので、このまま佐藤さとる先生、柴田祐規子さんが、発言された訳ではなく、佐藤さとるWEB管理人が、わかりやすいように順序・言い回しを変更している部分もありますことをお断りいたします。


柴田祐規子さんの「佐藤さとる先生は『人前で話すのは得意じゃない』とおっしゃっていたのですよね」という発言から、講演会ははじまりました。

以下、講演記録です。

===ここから===
柴田氏:
「代表作・コロボックル物語の生まれ」と佐藤先生の生い立ちをスライドを見ながらお話を聞いていきます。

★スライド写真が数枚
・九歳の時の写真
 10歳まで(5年生の一学期まで)逸見在住(わんぱく天国の舞台)
 その後戸塚へ
・16歳 日清製粉で学徒動員で作業

佐藤氏:
この写真は受験のため写真を撮りに行ったとき、配給の粉をおみやげに持って行き、お礼に友達と
写真を撮ってもらった。当時、戦争が終わったら何をしたい?と聞かれて童話を書きたいといったら、みんなびっくりした。

柴田氏:
戦争末期、結核の療養で北海道・旭川へ行き戻って旧制高専の建築家を出られて、横浜市役所に就職されたそうですが。
佐藤氏:
でも、お役所は自分に合わないので、やめようと思った時に、教育委員会から「先生をやってみないか?」と声がかかって先生になった。
それで思わぬ苦労をした。
数学を教えたんだけど、戦争中の小学校では、ろくに九九も教わっていない生徒に、代数を教えるのですから、悪戦苦闘しました。

柴田氏:
そののちに、平塚武二さんに出会って、お仲間と同人誌「豆の木」を始められたのですね。
佐藤氏:
平塚さんは(「玉虫の厨子の物語」等の名作を書いた童話作家)毒舌家の上、「もっと良い作品が書けるだろう」って扇動するから、その時は盛り上がるけど、しばらくしたら冷めるんだよね。
まあ、同人誌でもやったらどうか?と言われて始めたのが「豆の木」です。
(「豆の木」は、作家の長崎源之助氏、いぬいとみこ氏らと立ち上げた)

「豆の木」は「ジャックと豆の木」から取った。ぐんぐん伸びるからいいと思ったけど、よく考えてみたらあれはすぐ切り倒されるんだよね。(笑)

柴田氏:
そして30歳の時に「だれも知らない小さな国」書かれた。
佐藤氏:
「だれも知らない小さな国」をB6のタイプ印刷で100部あまり出したんだけど、自分の娘が読んでくれたらいい程度の思いだったんです。
そうしたら平塚さんが児童文学や出版につながる宛先を100くらい教えてくれて、そこに送れという。すると、90通くらい返事が来た。評価されたんですね。
講談社からその年の7月末頃出版されました。

柴田氏:
このころはお名前は漢字だったんですね。
佐藤氏:
本名は佐藤暁だけど、「暁」という名前は、だれもサトルと読んでくれないので、のちに名前をひらがなにしました。正しく読んでくれたのは旧制中学の漢文の先生くらいでしたね。「佐藤さとる」という名前は、平塚さんに「頭韻を持つよい名前だ」と言われました。

最初は、若菜珪氏の挿絵で、のちに三巻目から村上勉氏に移行しました。
当時若菜氏の絵が変化して、コロボックルに合わなくなって来たので、若菜氏とも相談して村上氏に変更しました。
ファンタジーというのは、「現実にはあり得ないこと」だから絵も含めて逆に「リアル」にかかないと物語世界が破綻してしまいます。

柴田氏:
最近、ファンタジーという言葉がかなり使われているようになりましたね。
佐藤氏:
ファンタジーという言葉は「空想とか、ありえないこと、お伽話」というのが一般ですが、「文学上の用語としての定義」がきちんとあります。
メルヘン(民話、創作民話)、と区別することが大事です。
たとえば、キツネが人を化かすという、いわゆるキツネ話で考えると、日本ではみんながキツネは化かすものと思っていますね。そういう社会的な約束事によって書くのは、メルヘンということです。
一方、ファンタジーというのは、不思議を起こす条件を作者が決める。
 
ファンタジーでは、一度決めた条件は変えてはいけません。
変えるとウソ話になります。きわめて文章力が必要です。下手なうちはファンタジーなど書かない方がいいです。(笑)
本を読んでいる読者が夢から覚めてしまうのです。もともと危ない橋をわたっている訳だから難しい。

柴田氏:
それでも佐藤さんは、コロボックルの話を長く書かれてましたよね。
佐藤氏:
まあ、コロボックルについては読者から続きをせがまれる、幸せな作者だったと思います。最盛期には年1000通くらい「あれはどうなった?」とか「続きはどうなったの?」という手紙をもらいました。

柴田氏:
そのコロボックル物語がどうやって生まれたのか伺いましょう。
佐藤氏:
まずは、コロボックルがいないと話が始まらないので、第一巻は、どこにいたの、だれが発見したかという、発見の話ですね。
本当は二巻のようなコロボックルが活躍する話が書きたかったんですが、その前に発見がなければ、ということでした。
第一巻は十年以上の長い期間の話で、第二巻が秋から春にかけての話。
第三巻はわずか3日間の話です。
 
当初は三巻までの予定だったんだけど、当時岩波書店にいた、いぬいとみこさんから「コロボックルの話を書いて欲しい」と言われて一冊書いたんです。
だからちょっと他の作品と違うんですね。
書き上げて、講談社に言ったら「他の会社から出すのは絶対に許せない!」
と怒られて(笑)講談社から出すことになった。それが四巻です。仕方がないので、半年後、いぬいさんには別の話を書いて渡した。
「ジュンとひみつの友だち」です。

柴田氏:
読者としては、だんだん、本の残りが薄くなるのが寂しいという気持ちから、できるだけ長い話が書きたいと思っていた。それが「コロボックル物語」になったようですね。
 
佐藤氏:
コロボックルは時代を超えて読み継がれる話になりました。
手抜きをしないで、昭和33年(1958年)〜昭和34年前後の状況を克明に書いたのは、いまから思えば、よかったと思います。

 ★天狗童子の話
柴田氏:
さて、ここからは、最新作 「天狗童子」について伺っていきます。
この話は、16世紀初頭 否含山(モデルは稲含山)の山番人で、篠笛の上手な与平のもとに、カラス天狗が弟子入りするところから話が始まります。

佐藤氏:
もともとは、1973年「文芸冊子」という同人誌に書き始めましたが、2号でつぶれました。それからしばらくして同人誌の「鬼ヶ島通信」に連載を始めましたが、連載というのはダメですね。前の号に戻って直したくなる。
あの辺に手を入れたら、いい伏線になる、なんて思ってしまうので。(笑)
まあ、ようやく9章で一応終結させました。

天狗ってよく分からないものなんです。大きく分けるとカラス天狗と鼻高天狗がありますが、その別がどうして生まれたのかはっきりしません。もともと天狗に関して研究はバラバラで、女天狗はいるのか、位はあるのか、小天狗、大天狗とはどういうことか、など、キリがないです。
話によってもバラバラで、適当に使われています。ということは天狗を自由に書ける。作る楽しみがありました。

天狗にも階級があって
ミゾコシ→新参→古参→小天狗という風に階級が上がっていくようにしたんです。
この作品は、木っ葉天狗の九郎丸が主人公ですが、彼は三浦一族の忘れ形見でして、一種の貴種流離譚ですね。
天狗と戦国の時代のかかわりは、書き始めからその意図はありました。よくできた話だから読んでください・・・というと終わってしまいますが。(笑)
  
柴田氏:
天狗の建物が面白いですよね
佐藤氏:
建物は詳しく書いてあって、図面もあります。リアルに夢に出てきたこともあります。総ケヤキ造りで、天狗館(やかた)ってこんなものか
と思いました。夢の中で。上に行くほど広がるのが天狗館で、どうしてそうなるのか私にもわからない。天狗の術だから、で片づける。楽ですね。(笑)

柴田氏:
移動方法は縮地法という土地の方を縮めてしまうというものなのですね。
佐藤氏:
江戸時代に天狗に誘拐されたという少年の記録があって、平田篤胤が聞き書きを残している。縮地法はその本に出てきます。まあとにかく、いい加減に書いてもだれも責めない。いい加減に書いているわけではありませんがね。
柴田氏:
嵐の中を九郎丸が飛ぶ所は手に汗を握りましたし、与平が屋敷まで連れて行って貰う方法は、たもとに入るとういうのが面白いですね。
佐藤氏:
台風のシーンなど書いていても面白いです。飛んでいる感じやここで休みをとらせようとか。
  
たもとに入ってしまう、ひょうたんの中に入る、自由自在です。みんなが知らないことだから、誰も文句を言わない。
 
柴田氏:
巻末、お話の展開が早くなって、あっという間に九郎丸が大人になってしまいますね。
佐藤氏:
本が出てから、その点では「ヒナンゴウゴウ」で、終わりがあっけないと言われます。
実はもう一つの終わりの場面を鬼ヶ島通信50号にのせようと思っているんです。
ちがう終わり方ではなく、40枚くらいの量で、詳しく書いたものです。
どちらがいいかということは言わないことにしている。

柴田氏:
具体的にモデルがあって書くのですか?
佐藤氏:
たとえば、西安さまの性格は安西(旧制中学からの親友)をモデルにしている。モデルがあった方が書きやすいんです。
柴田氏:
天狗は人を守ってくれる存在ですか?
佐藤氏:
わかりません。天狗それぞれでしょう。今は天狗もいませんしね。なぜ天狗がいなくなったかというのも、作者としては考えが無いこともない。天狗は人をむやみに攻撃すると術が使えなくなるんです。たぶん、いつの時代か、どこかでがまんできずに人を攻撃した天狗さまがいたのでしょうね。それで消えてしまったのかもしれない。

与平が尊者さまによく似た質問をする場面があるが、はぐらかされます。私が、よく分からなかったからです。

柴田氏:
天狗さまの力で戦をなくすくらい簡単ではないのか、という質問ですね。
佐藤氏:
そういう事が出来たらいいなという思いはあるが、でも戦いをやめられないのが人間なんだと思います。

柴田氏:
また天狗を主人公にした作品をお書きになりますか?
佐藤氏:
もうかけないですね。本当は隠居してたんだから。(笑)長いものは命を削って書くので、無理です。

柴田氏:
今後テーマとしてこんなもので書きたいというものはありますか?
佐藤氏:
テーマでは書かない。どちらかというと、私は、動機で書きます。書いた後でテーマが現れるものです。よいファンタジーはとくに
そうだと思います。書いていくと現実の何かを象徴するんです。心の内を現実のようにひろげてみせるからそうなるようです。
私は必然性を追ってストーリーを作っていきます。そのうちに、必然の中に意外性を持っているものが表れる。それを拾ってつないでいく。そういう時には、作者でさえビックリする。たぶん読者もビックリするはずですね。
天狗童子にもそんなところがあるけど、ここでは言わないことにします。(笑)

===ここまで===
この後、サイン会になりました。
サインにまつわるエピソードを紹介していただき和やかな雰囲気の中、
200名近い希望者のみなさんに一人つづ丁寧にサインをされていました。

非常によい講演会でした。

以上


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