長月の本・壱
「だれも知らない小さな国:あれこれ」
佐藤さとる全集8巻:「だれも知らない小さな国」の
カラー挿し絵より:村上勉(画)
佐藤さとる全集には、カラーの挿し絵ページがあるのも魅力の一つ。
コロボックルの物語に出てくる登場人物とコロボックルのつきあい方が、違うように、ここにやってくる方々のコロボックルとの関係も、人それぞれ多種多様であるようだ。
まず、純粋に「ファンタジー」の傑作の一つとして、接する人。私の偏見かもしれないが、かなり年齢が上になって出会った方は、このタイプが多いような気がする。コロボックル物語の評価も巻数が増すにしたがって落ちていく方も多かったりする。(あくまで経験談)クールな読者が、まあ多い。(異論多数でしょうが、あくまで経験談)
次に、なつかしい思い出の物語として接する人。子供の頃出会い、ちょうど子供たちが読書年齢に達したため、自分(お母さん
or お父さん)が、再び童話に接するようになり、「コロボックル」を実家の書棚から引っ張り出して来るような方である。実家にあったはずの本が、見あたらず、困惑する方も多い。また、別巻の「小さな国のむかしの話」の存在をしらない方も、この分野に多かったりする。(これまた経験談)
ただ、子供たちが「コロボックル」にとけ込めるかどうかは、わからない。「あんまり読んでくれない・・・」と嘆いている方もいるでしょう。見事親子2代でファンになった、とっても幸せな(嫉妬の対象?)方もいらっしゃる。
かく言う私は、上記2つの混合タイプだろう。我が子がコロボックルのトモダチになれるかどうか、「かの本」が彼、彼女を受け入れるかどうか、はたまた、「彼、彼女」がかの本を受け入れるかどうか「神のみぞ知る」世界である。
どんな出会い方をしても、結構だと思う。どの話が好きかも、問題ではないと思う。「コロボックル物語」に出会ったことが幸せだと思える、そんな本に出会ったことが、本当にありがたいと思えること自体、奇跡なのだ。一生の読書に耐える本なんて、ほんの一握りなのだ。「コロボックル物語」は、その数少ない本の一冊である。
だれがなんと言おうと、それは確かなことだ。
最後になってしまうが、とっても嫉妬してしまう読者のタイプがある。
とても熱心な読者で、「コロボックル」は、本当に存在するかもしれないと、思い続けている方がいる。私などは足下にも及ばない方々である。
たぶん、「彼女、彼」たちは、コロボックルに祝福されているに違いないと、私は思う。そしてふと考えるのだ。
「私は選ばれなかったが、彼らはひょっとして「コロボックルのトモダチ」なのでは・・・」と。
「だれも知らない小さな国」
村上勉氏の挿し絵でリニューアル。そのあと、全集2つ、文庫本3種、英語版と出版された。