2002/2・壱
「だれも知らない小さな国」(匿名希望編)



「だれも知らない小さな国」
村上勉(画)

匿名希望の方の投稿です。


   「だれも知らない小さな国」をはじめて読んだのは、小学生の時でした。
読書好きのいとこが読んでいたのをかすかに覚えています。その時に薦められたわけではないのに、しばらく経ってから私はなぜかその本を買っていました。それが佐藤さとるさんのお話との初めての出会いでもあります。

  せいたかさんとコロボックルたちが出会い、そして味方になるまでをわくわくドキドキしながら読んだ思い出があります。その頃に発売されていたシリーズの4巻まで続けて読みました。私の中で「せいたかさん=佐藤さとる」というイメージが出来上がり、ますます小国が現実味を帯びてきました。
それはシリーズの進行と共にコロボックルたちが人間の世界へと広がっていくことが、わたしのいる現実の世界へどんどん近づいてきているように感じられたからだと思います。そして、“小さい黒いかげが目の前を横切ることはないものか” “私もコロボックルとトモダチになりたい”という思いも強くなるのでした。

  また、物語のふしぎを発見したのもこのお話でした。「小さな国のつづきの話」が発売された頃、中学生になっていた私が「だれも知らない小さな国」を読み返した時のことです。それまで何度も読み返していた筈なのに、物語の中に戦争のことが書かれていたことにはじめて気づき驚きました。ひだまりのような印象の作品に、戦争という暗い背景が書かれていたことは意外なことでした。
  そして、大人になった今になって見えてきた「自動車専用道路」「新興住宅」「死んだ用水池」などという言葉で表現される開発されていく日本の姿。子供のため難しくて理解できなかった内容は、現実の私の世界の出来事と重なって、物語にまた違った彩りを加えていきます。
  それまで私は登場人物や細かな内容は忘れてしまい、ただ漠然と小人がでてきて友達になった素敵な話として覚えていました。たぶん、はじめて読んだときのわくわくドキドキした気持ちが私のコロボックル物語になっていたのでしょう。

 このようにコロボックルたちを記憶の片隅へ押し込めた薄情な私でも、本を開くと物語は温かく迎えてくれます。頁をめくれば懐かしい旧友のように接してくれます。そして、生き生きとしたコロボックルたちの姿にハラハラしているうちに一緒に悩んだり笑ったりしている子供の頃の私がいました。
この時、ふと気づきました。わたしもコロボックルのトモダチなんだ、と。これからも、私の心の奥に深く刻みこまれた物語は決して色あせることがなく、いつまでも大切なトモダチなのです。

 本の中でコロボックルたちにいつでも会える...なんて素敵なことでしょう。

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