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ジュンと秘密の友だち



「ジュンと秘密の友だち」岩波少年文庫(岩波書店):村上勉(画)


物には魂があるという考え方がある。
真偽のほどは、わからない。人それぞれの考え方次第なのだろうが・・・。
そして、きゅっと、まじめなきびしい顔になりました。ジュンは、ダイちゃんがいっぺんに年よりになったような気がしたのです。
「いいかいジュンちゃん。これはぜひおぼえておいてほしいんだ。おれが、なぜあの鉄塔にやどっていたか、そのわけをジュンちゃんに教えてくれる人にあったら、おれを思いだしてくれよ。たぶん、そのころのおれは、その人の心の中に帰っているはずだから。」

(「ジュンと秘密の友だち」より引用)
ものを作るという行為は、楽しく、厳しく、懐かしく、身近で、神聖で、冷たくもあり暖かくもあるものだ。作ることは、人としての基本的行為というだと改めて認識する。料理をする。絵を描く。野菜を育てる。服を縫う。そんなさまざまな行為にも「作る」というニュアンスが根底にある。文章を書くということにも、「作る」というイメージはつながる。「作る」ということは、自分自身を「作る」ことと同じことなのかもしれない。

物に囲まれ、物に埋もれ、壊れれば修理するより代わりのものの方が安い現在社会。幸せな社会といえるかどうか。ものを作る行為は、想いをこめた行為であるべきだが、自分の周りをみて、想いがこもった物がいくつあるか・・・

ジュンが出会ったダイスケ。鉄塔に宿ったものは、何だったのだろう。鉄塔に宿る魂を文明批評と受け取るのはたやすいが、上っ面の批判なら願い下げである。ダイスケという存在の裏側には、さまざまな想いが結集した色々な事柄がある。だからこそ、ダイスケの言葉が心に沁みるのだ。
「おれが、なぜあの鉄塔にやどっていたか、そのわけをジュンちゃんに教えてくれる人にあったら、おれを思いだしてくれよ。たぶん、そのころのおれは、その人の心の中に帰っているはずだから。」
結局のところ、きちんと作られた「物」は美しいし、その「物」に与えられた仕事をきちんとこなすことができる。それは、手作りであろうが、機械での大量生産であろうが、小さかろうが、大きかろうが変わらないのではないか。そうやって作り出された「物」にも寿命がある。役目を終えた鉄塔はしずかに去っていく。ダイスケのさようならが胸に沁みるシーンである。
(6/4 '2002 細かい推敲にてUpdate)

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