霜月の本・壱
「龍宮の水がめ」
講談社文庫「そこなし森の話:龍宮の水がめのさしえより
村上勉(画)
龍宮の水がめ
中国四千年の奥は深い。最近そう思う。
いきなり、そういっても訳が分からないだろう。最近のマンガやゲームの題材として、中国の伝奇小説に題材を取っている物が、ちょくちょく見うけられるのを見ていると、つくづくそう思うのだ。かの「西遊記」を始め、マンガ版の「封神演記」を始め、小野不由美氏の「十二国記」のように外形だけ仮託しているものなど多種多彩である。
さて、「中国のむかしばなしから着想を得て書かれた作品」というものが、佐藤さとる氏にもいくつかある。代表的なのは、「机の上の仙人」だろう。講談社文庫版では、「あとがき」ならぬ「机上庵解題」でも、その原点の「聊斎志異」を紹介しながら、佐藤氏がどう料理したか、御自ら、「解題」いただけるという興味深い記述がある。「机の上の仙人」は、残念ながら現在絶版で入手不可能だが、「聊斎志異」をみごとに換骨奪胎した作品に、「龍宮の水がめ」がある。「聊斎志異」
中国の怪奇小説。清の蒲松齢の作。一六巻。神怪・鬼狐などを取り扱った短編四三一編を集めたもの。
友人松太郎から金魚をいっぱい手に入れた太一は、池をつくまでの間に合わせに、おじさんのうちから、海から拾ってきた水がめを金魚鉢として使おうとする。水をいれて、金魚を二十匹あまり入れて、中を覗いたが、すーーといなくなってしまった。そこで、手を入れたが、底につかないのだった・・・。余談であるが、さる評論家の方が、単なる焼き直しの意味で「換骨奪胎」を使っていた文章をみたことがある。ちゃんと辞書を引きなさい!!と言っておきたい。
神宮輝夫氏の解説(講談社文庫:そこなし森の話収録)によると、同名の話が「聊斎志異」にあるらしいが、まだ発見できていない。結局、原作との比較ができていないのが残念である。
それにしても、水がめに金魚を入れるまでのイントロダクションと、その後のフォローの仕方は、見事というしかない。太一が、水がめをその後どうしたか記憶にない方は、確認の意味でも、もう一度、読んでほしい。余韻が残って、かつ、太一という少年まで見えてくるその書き方に、ため息が出るのは、私だけではないはずだ。
数ある短編のなかでも、さらっと書き流したようでいて、氏の本領が発揮されている作品である。
「龍宮の水がめ」
1962年「ディズニーの国」(リーダーズダイジェスト社)に掲載。1966年に短編集「そこなし森の話」に収録。
「佐藤さとる全集:6巻」で入手可能。