弥生の本・弐
「小さな国のつづきの話」



「小さな国のつづきの話」 講談社:村上勉(画)
これは、ハードカバーの表紙。文庫も同じデザインである。


 「だれも知らない小さな国」から始まり、「小さな国のつづきの話」で一応の完結を見るコロボックル・ストーリー。デイ・マジック・ファンタジーの傑作であるこの物語の最終話は、小さくまとまるのではなく、新たな出会いを見つけながら、さまざまな扉を開く物語だった。

 この話も佐藤さとる氏の描写は、さえる。

「正子の手から、本がパタリと床に落ちた。しばらくそのままじっとしていたが、やがてゆっくりかがんで本をひろいあげ、ていねいに棚へいれた。のこりの本もそれぞれかたづけてしまうと、小さな換気窓をしめ、ドアに向かった。」([小さな国のつづきの話]から引用)

 はじめて、正子がコロボックルの姿を見た直後のパラグラフである。なんという抑制された情景描写だろう。ついつい、オーバーなリアクション、過剰な心情を描写してしまうのが、普通の作家。ところが、佐藤さとる氏が語るとこうなるという見本みたいな、個所である。正子の心情は一切語らない。ただ、その動作を書き続けて、見事なまでに「へんな子」という彼女が浮き彫りになってくる。夏の図書館の静けさ。セミが鳴いているかもしれない。中庭から吹き抜けてくる風に、呆然となっている彼女の姿が見えてくるではないか。

 この話は、きわめて微妙なバランスの上に構築されている。主人公は図書館に勤務。それも児童書コーナーの担当も勤める。だから、「コロボックルの話も知っているはず。」という観点で、物語は進行する。なんと大胆な設定だろう。一歩まちがえば、お話の基盤が揺らいでしまう設定なのに、ぐいぐい、引き込まれていってしまう。佐藤さとる氏は、読者が望んでいるものを巧妙に筆に乗せて、トランプを開くマジシャンのように物語を展開する。虚構と現実が交錯するすてきな世界が、そこにあるのだ。

 しかも、佐藤さとる氏は、物語の終結を「行き止まり」ではなく、あざやかな「広がり」で締めくくる。物語の続編というものは、その性格上、きわめて立場が弱い。その物語の前にお話があることが前提であるから、どうしてもインパクトに欠けるのだ。また、シリーズものの完結編というものも、きわめて難かしい。それで、「おしまい」にするには、それなりのストーリーと万人を納得させる裏付けが必要になる。佐藤さとる氏は、この完結編にあたる物語に、終結に向かうための集約と、新たな方向を見出す拡張性の同居を構築した。この「小さな国のつづきの話」は、そういう意味で希有な本でもある。

 これを読んでいる方々、そして私も、久方ぶりの人も、ちょっと前に読み終わった人も、「コロボックル」のお話のページをもう一度、めくってみませんか? 読み終わったとき、ふと振り返ったそこに、手を振る「小さな人」が、いるかも知れません…。

「小さな国のつづきの話」

初出はハードカバーの単行本。(S58.9.20) その翌月、「ファンタジー全集:5巻」としても刊行。その後、文庫本(S62.12)、青い鳥文庫(H3.6)にも収録された。


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