皐月の本・壱
「佐藤さとる全集」



「佐藤さとる全集」 講談社:村上勉(装丁:画)


「全集」という本の分野がある。

「漱石全集」やら、「龍之介全集」やら、あまた全集類の数ある中でベストセラーになった全集というのは、寡聞にして知らない。まあ、考えてみれば、「全集」というからには、一冊じゃないだろうし、ペラペラの内容でも困る。おのずと価格は高くなるから、「売れて売れて笑いがとまらない」という性格のものでもない。
しいて言えば、「めざせロングセラー」であろう。ただ、ロングセラーになる全集というのも、これまた探すのが難しいものである。

そんな中、児童文学と呼ばれる分野でも全集はポツポツと出版されている。ただ、相当著名で、「大人」の読者(というよりは、研究者か?)がいないと、あっという間に書店から消え去っていく。理由は簡単。売れないからである。かなり大きな本屋であっても、場所は食うわ、回転率は悪いわ、(まあ、単価は高いし、全巻そろいで買っていく人も多いので、売れれば儲かるのだろうが)では、全集自体が冷遇されているのも無理は無い。「さもありなん」と思う。その上、児童文学となれば、状況は「推して知るべし」である。

前置きはこれくらいにしておかないと、石が飛んできそうである。本題に入ろう。

ここを見ている方は、ご承知であるとは思うが、佐藤さとる氏も「全集」と名を打ったものが前後2回刊行されている。現在も入手難で泣いている方が多い「ファンタジー全集:全16巻」と今回紹介する「佐藤さとる全集:全12巻」である。「ファンタジー全集」は今後ふれる機会もあるかとおもうので(ふれても、入手できなきゃ意味が無いので)、今回は「佐藤さとる全集」をご紹介したい。これは、数少ない、それも児童文学のロングセラーと言える全集である。

「佐藤さとる全集」の発行年を見ると、1972年〜であるから、もうはや30年近くを経過している。こんなに長く同一の全集を発行しつづけているというのは、他に例が無いのではないかとも思う。それも、ターゲットを児童文学本来の「子供たち」に向けて、編集しておいて、なおかつ、ロングセラーを保っているのは、いやはや、なかなかのものである。

この全集は、巻の設定を、年齢順にしている。やさしいお話、ページ数の少ないものから順に12巻までならべてある。それも活字にいたるまで、気を配っている。活字の大きさがやや大きいためかもしれないが、少々大判である。
また、村上さんの挿絵も(モノクロがほとんどのコロボックル・シリーズも含めて)、カラーページがあったりする。近年のコストダウンによる箱入り→紙カバー変更以前は、箱も少々アレンジの違うつくりになっていたりする。紙カバーになって、よかった点もある。あの白黒のよくわからない(失礼!!)佐藤氏の著者近影から、カラーのはっきりくっきりの村上さんとのツーショットの写真が加わりファンにはたまらない。

また、この全集には、巻末に3つの評論的、解説的な文章がある。それぞれ、神宮輝夫氏、長崎源之助氏、佐藤さとる氏の文章であり、これがまた面白い。9巻〜11巻の長崎氏と佐藤氏の対談は、両氏の文章に興味のある方は、必読である。また、最終巻の長崎氏のレポートの「按針塚訪問記」も、これまた面白い。(両氏の「絵」に対する思いがわかる文章でもある)

第一巻の「おばあさんのひこうき」から最終巻の「わんぱく天国」にいたるまで、しっかりした作りの美しい本。この本の編集者は「鬼ヶ島通信」の同人でもある末吉暁子氏である。編集者としての力量を感じることのできる全集に仕上っていると思うのは贔屓目ではないだろう。

いろいろ言いたいことは尽きないのだが、全集というのは、ある意味、出版社の作者への思いを描くキャンバスでもある。別な言いかたをすれば、編集者から読者へ、あるいは作者への思いの丈を綴った手紙でもある。全集という名の宝石箱。その中に収められた佐藤さとる氏の珠玉の物語をあなたも開いて見ませんか?



閑話休題(それはさておき)

この「全集」、そうはいっても、高価である。24000円はちょっと…という向きもあるだろう。もし、このページを見ている方で、協力していただけるならば、ぜひ、「図書館」に購入のリクエストを出していただきたい
リストをプリントアウトして持っていくだけで良いところも、専用の申し込み用紙に書き込まなければならない図書館もあるでしょうが、なんとかリクエストしていただきたい。そうすれば、次の時代の「佐藤さとる」ファン、ひいては、一人の読書好きな大人を育てることになるかもしれないのだから。


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